
私たちが父と一緒に船に戻ったとき、母はもう弟の力を寝かしつけ、みんなの布団を敷いてくれていました。しかし、私はもう全く眠くありませんでした。おそらく、ここ数日間、荒波の船上で寝てぱかりだったからでしょう。それに、その日は一日中、羅津市の港で思う存分遊び、すべてが新鮮で面白くてしようがなかったからです。そのとき私は、両親と一緒にこの旅に出てよかったと思い、自分は運がいいとも感じました。たぶん、父もそのとき私と同じ考えを持っていたかもしれません。
父が、中国は朝鮮より何十倍も広く、日本よりも何十倍も大きいと話してくれたことがあります。私はそのとき、地理的知識を全く持っておらず、土地の広さの概念も全然ありませんでした。実は、両親も中国に行くのは初めてで、中国のことは全く知らず、ただ、本や新聞で読んだだけだったのです。
半世紀後に、数々の困難を乗り越えて、どうにか日本に帰ることのできた私は、父の当時の友人であった新井さんを訪問しました。新井さんは私に、「当時の日本人、特に強い志を抱いていた若者は、中国に渡って才能を発揮できることに憧れていた。今の日本人がアメリカやヨーロッパに行きたがるのと同様に、中国へ行くのはみんなが憧れる名誉なことだったのだ」と話してくれました。
今になって思えば、当時の中国は非常に繁栄し豊かだったはずです。そのため、この神秘的な色彩と古代文明の歴史を有する天国のような国に、世界中の人々が憧れ、好奇心を抱いていたに違いありません。唐朝のいろいろな伝奇が日本人の心の奥底に深く刻まれていたため、天国のような色彩を有するこの国は、当時、かくも非凡な魅力を発していたのでしょう。ただ、残念ながら、戦争と人類の貪欲がこの国に未曾有の災難をもたらし、私が訪れたところでは、古い伝統を有する大都市としての本来の姿を目にすることはできませんでした。
ただ、正にこの夢のような憧れが、私の家族を離散の運命に導いたのです。当時は、私だけでなく、両親もそんなことは夢にも思わなかったでしょうが。父のあんなにも興奮し、自信に満ちた言葉を思い起こせば、当時父が中国に無限の夢と好奇心を持っていたのは間違いありません。家族全員が一刻も早く中国の地を踏むことを待ち望んでおり、当時の私はまるで夢を見ているように、自分がまもなく訪れるところをあれこれと思い描いていました。
そのとき、私は初めて、自分たちの乗っている客船が大きくて快適なことに気がつきました。ベッドが一人に一つずつあり、東京の自宅の畳の寝心地には及ばないものの、十分快適でした。船上にはいろいろな設備が整い、何でもあり、風と波さえ静まれば、まるで家にいるようでした。人間というのは、気分が晴れると、周りを観察する余裕が出てくるもののようです。
(つづく)
転載 https://www.epochtimes.jp/jp/2008/01/html/d14639.html
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